◎そこにいつも歌があった(14)
『赤いスイートピー』(松田聖子)


 このころの松田聖子の歌には、“自由とナチュラルな青春”といったイメージがあった。

 団塊の世代の歌にはない、明るくカラっとした清新な恋愛観や、ライトな中にもキラっと光る生き方を、さりげなく見せる姿勢が素敵だった。

 少女から大人へ……チェリーブロッサムのように新しくめざめ、時には彼を渚のバルコニーで待ち、時には白いパラソルで愛を語る。

 月明りの夜には、ママの目を盗んで、彼と二人で青い岬から流れる星を見上げる。そして、霧のベールに包まれながら夜が明けて、気づいたら小麦色のマーメイドになっていた。

 少し時がたって、誘われたスポーツカーの彼は、動機も言動も軽薄で不純だけど、それでもピュアなところが好き。ピュアピュアルージュ・マジック……。

 とこんな具合に、一連の作品に流れる気分は、要約できるのではないだろうか。

 僕の周辺にいた、あのころの友人たちも、よく考えてみると、ここに登場するような“彼”を演じていたような気がする。

 ガス会社に勤めていたAも、医薬品卸の営業マンだったBも、自動車メーカーに勤務するCも、みんな多かれ少なかれ、そんな雰囲気のなかで女の子と付き合っていた。僕の場合も、もちろん例外ではなかった。

 松田聖子が歌うような男女の世界に、ちょっぴり照れながらも憧れ、ライトな中にもキラっと光る生き方に共感を覚えた。

 わけても『赤いスイートピー』は、その時代の気分をよく表現していたと思う。

〈煙草の匂いのシャツに寄りそうから〉
〈半年過ぎてもあなたって手も握らない〉
〈ちょっぴり気が弱いけど素敵な人だから〉
〈何故あなたが時計を見るたび泣きそうな気分になるの?〉
〈好きよ 今日まで逢った誰より……あなたの生き方が好き〉

 こうした言葉のひとつひとつは、当時の僕たちにとって、けっこうリアリティがあった。
デートの時には、どこかで歌の文句を意識したり、逆に現実のシーンが歌の世界に近かったりすると、それはそれで嬉しいものだった。