「いちご白書」が、アメリカの学園紛争を描いた青春映画だということを、当時の僕は知らずにいたけど、それでもこの歌にはえらく感動した。
イントロから歌いだし、サビ、エンディングに至るまで、全編哀切と物悲しさに包まれ、かつ返らぬ
日々の追懐がそこはかとなく感じられ、たまらなく泣きたい気分にしてくれる。
不思議なことに、それがまた、ささくれた心を癒してくれるのだ。
そういう意味でも、たぐいまれな名曲といえる。
この歌が流行っていたころ、ぼくは友人の家でよく試験勉強をやったような記憶がある。
悲しい気分で勉強すると、何だかとても能率があがったのだ。
理由は定かでないが、『いちご白書』が流れていると、その空間までもブルーに染まる感じで、学習がおおいにはかどったのである。
明るい光がこぼれる部屋でなんか、外への誘惑があって、とても勉強する気になれない。
やっぱり勉強は、物悲しい雰囲気のほうがいい。
ま、それはそれとして、この歌をあとでじっくり味わうと、けっこういろんな思いにかられる。
歌に出てくる主人公が生きた時代は、学園紛争があって、そうしたなかで彼女とつきあい、そして若いエネルギーを燃焼させた。
就職する際には、リクルートカットにし、青春のよすがと彼女に別れを告げ、社会に漕ぎだす。すべてをさっぱり水に流して。
就職するとは、社会に出るとは、そういう悲しいことなんだと、当時の僕は思った。だからだろうか、なかなか定職に就こうとしなかったのは……。
一緒に『いちご白書』を聴きながら勉強した友人は、この歌のように髪を切り、彼女とも別
れ、薬品卸会社へ就職し、やがて千葉へ転勤で行ってしまった。
今は音信不通である。
彼も聴くだろうか、『「いちご白書」をもう一度』を。きみとボクの青春のメモリー、きっとどこかでもう一度。
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