◎そこにいつも歌があった(2)
『勝手にしやがれ』

 きらびやかで、ド派手な衣装がよく似合ったジュリー。
ぼくはそんな沢田研二が好きだった。
テレビのベストテン番組では、「一等賞を狙います」とさりげなく宣言し、その言葉通 り、いつもランキングの常連だった。

『勝手にしやがれ』は、そうしたジュリーが大ブレイクした、記念すべき曲といえる。
ぼくは年代的にも、GS時代の沢田研二より、ソロとしてのジュリーに愛着を持っている。

 とりわけ『勝手にしやがれ』(七七年)以降、『TOKIO』(八○年)までのジュリーは、歌謡界における“スター性”というものを、極限まで追求した“コンセプト・スター”だったと思う。
とにかく、カッコよかった。

 それに対し、あの頃のぼくは、このうえなくカッコ悪かった。
ジュリーが『勝手にしやがれ』でレコード大賞をとった年、ぼくは浪人の身だった。
中途半端で宙ぶらりんの立場なのに、さらに失恋して落ちこんでいた。

 高校時代の友人は、みんな就職とか進学とかして、それなりにやっているのに、ぼくだけは、明日をも知れぬ 自宅浪人。
そんな時、あの派手なイントロとともに、ジュリーのけだるく軽快な歌声が流れてきたのである。

〈夜というのに派手なレコードかけて 朝までふざけようワンマンショーで…〉

 勇気づけられました。
この歌詞のとおり、朝まで友人とふざけて、幾度も家人から叱られたけど、支えになったのは確かです。

 馴染みの喫茶店のクリスマス会では、正装する友人たちに混じって、ぼくだけジーパンで出席し、この歌を歌って騒ぎました。

 うっ積したもやもやや、わびしい生活が、何となく救われるような気がした。
今でいうと、カラオケで憂さを晴らす、オヤジのようなものである。

 それからというもの、ジュリーの出す歌すべてに注目した。
とくに『ヤマトより愛をこめて』(「さらば宇宙戦艦ヤマト」のエンディングテーマ)は、映画の影響もあるが、素の彼のメッセージのようで、本当に泣けた。