チューブというグループを初めて見たのは、東京・神宮外苑の絵画館前広場だった。
たしか真夏の夜の祭典、といったようなイベントだったと思う。
連日うだるような暑い日が続き、日が落ちても昼間の熱気が、そこかしこに立っているような夜だった。
そこへ体育会系ビーチボーイの4人組が現れ、例の『シーズン・イン・ザ・サン』を熱唱した。
昼間、外苑を散歩していたら、イベントの案内チラシか何かをもらった縁で、ふらっと寄ったのである。
そしたら、いきなりあの独特の甲高い声で、〈すとっぷ・ざ・しーずん・いん・ざ・さん〜〉ときたのである。
「オ、これはイケる!」
とぼくは思わず膝を打った。
この曲だけでなく、彼らは絶対ビッグになると、そばにいたカミさんにも、興奮して言った覚えがある。
結果論だからどうとでも言えるけど、果して彼らはみるみる頭角を現し、一年後の夏には、日本を代表するビーチボーイズになっていた。
当時、先輩格のサザンオールスターズが活動を休止していたこともあって、彼らの歌は新世代の湘南サウンズとして注目された。
ぼくは、若大将や裕ちゃんの世代ではないから、湘南といえば、サザンやチューブのイメージが強い。
実際、江の島や七里ヶ浜あたりに行くと、今でもサザンやチューブの曲が、リクエストもなしに、自動的に頭の中をかけめぐる。
ただ不思議なのは、このように湘南のイメージが強いチューブにもかかわらず、ある時期、“中部”を売りにしていたことがあった。
例えば、「 」に収められた『内海Seaside』。バラード調の美しい曲で、タイトルの内海という言葉は、歌詞の雰囲気からすると、知多の内海と思われる。
それから『TUBEST(チューベスト)』というCDアルバムのジャケット。
裏側には、ちゃんと愛知県地方の地図がデザインされていて、ご丁寧にも名古屋、豊橋、小牧、多治見、瑞浪といった文字もみられる。
たぶんこれは、チューブ=中部というシャレなんだろうけど、それにしても粋なことをやるものである。
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