◎そこにいつも歌があった(22)
『上を向いて歩こう』(坂本九)


 いま思えば、日本が一番幸せな時代の、そして何より未来を信じられた頃の歌として、この曲があったような気がする。

 当時、日本は高度成長の黎明期で、モノは作れば売れる、給料は毎年確実な右肩上がり、野球は巨人O・N、相撲は大鵬に柏戸、おまけに、サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ、と浮かれることができた。

 日本一無責任男がばっこしたり、ジャズ喫茶ブームに色めきだったり、“銀恋”(銀座の恋の物語)が流行ったりする日本を一歩出れば、世界ではガガーリン少佐が「地球は青かった」とやってるし、マリリン・モンローは世界中の男達を悩殺している。

 こんな果報者の時代にあって、『上を向いて歩こう』が歌われた。

〈上を向いて歩こう/涙がこぼれないように/思い出す 春の日 一人ぼっちの 夜……〉

 テレビやラジオで、あるいはそこかしこの街角で、そして人々の唇を通して、この歌は流れた。

 近所の市場のお姉さんも、空に向かって歌っていた。
駄菓子屋のおばさんも、歌詞を間違えて、“涙がこおらないように”と口ずさんでいた。そういうわけで、誰もかれも、陽気に、浮かれ、そしてたくましく、明日に向かって生きているように映った。
少なくとも、子供のぼくにはそう思えた。

 だけど、いまこうして歌詞を改めて見てみると、ただ陽気で元気なだけじゃない、孤独や哀切を越えた、前向きな笑顔を感じる。

 当時ぼくは、子供だったからわからなかっただけで、あの時代の大人たちも、やはり涙をふいて、前へ前へと進んだのだ。

 だとしたら、いまの時代はなおさらである。先行き不透明で、不安と不満がうずまく世の中にあって、ぼくら日本人はどうしているかと言えば、みんな下を向いて歩いている。

 でも本当は、こんなときだからこそ、背筋を伸ばし、空を見上げ、上を向いて歩きたい。
涙がこぼれないように、上を向いて、悲しくてもいいから、とにかく歩く。

 いつも笑顔だった、九ちゃんのように……。