昭和50年の大晦日、日本レコード大賞をみごと射止めたのは、布施明が歌った『シクラメンのかほり』だった。
小椋佳の作詞、作曲で、いわゆるフォーク系歌謡曲である。
当時の司会者、高橋圭三アナの「苦節十数年、やっと大輪が咲きました……」とか何とかいったナレーションのもと、布施明がギターを抱え、涙ぐむ姿が印象的だった。
〈真綿色したシクラメンほど/清しいものはない/出逢いの時の君のようです……〉
うーむ、いい。とってもいい。メロディや歌詞は言うに及ばず、布施明の声、アレンジ、歌う姿勢、季節感などのシチュエーション、どれをとっても申し分ない。とりわけ、座ったままギターを抱え、押え気味に淡々と歌う唱法が、たまらなくシビれる。
これぞ布施明、フォーク系歌謡の神髄、と思った。
それまで布施明といえば、『霧の摩周湖』『積み木の部屋』『マイウェイ』といった、どちらかといえば絶唱型の歌手のイメージだったのが、これを境に一変した。
僕の中の印象でいえば、繊細かつアーティスティックに変貌したのだった。
だから僕は、『シクラメンのかほり』について、聴くのも歌うのも語るのも、好きなのだ。とくに歌うことに関しては、昔から少々うるさかった。
まず物憂い感じで椅子に座り、ギターアレンジも例の唱法も完璧にコピーし、布施明よろしく歌うのだ。
今のようなカラオケシステムもないから、人前で歌うときは、友人に手伝ってもらい、「}ちろり〜ん」とか「}ぱぱーんぱぱぱーん」とか、効果
音を入れてもらう。
歌っている本人は、けっこうこれで、その気になれたりしたけど、はたから見ると、完璧にチンドン屋のノリだったようだ。
まそれはともかく、僕はこの歌を、目を閉じて静かに聴くと、ある恋の描写
が浮かぶ。
〈うす紅色したシクラメンほど/まぶしいものはない/恋する時の君のようです〉
というように……。
本欄でぼくは、わりと歌と恋の関連について書くけど、歌謡曲の本質は、こうした思い入れや情感なしには、語れないのである。
けれど昨今の歌には、段々こうした“揺れ”みたいなのがなくなっており、寂しい限りだ。
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