ぼくにとって、青春プレイバック“ナンバー1”ともいえるこの曲は、いつ聴いても歌っても、胸こみ上げるものがある。
いま振り返っても、なんかこう、碧く切なくゆるやかに光る陽炎のように、はかなく頼りない恋物語を呼び覚ます。
それは、まさに百恵ちゃんの『秋桜』が巷間に花開く、ある晩秋の休日のことだった。ぼくと友人と、それから女の子2人という組合わせで、遊びにゆくことになった。
行き先は、関市にあるフィールドアスレチック。友人の父親の車を借りて(といっても軽四自動車で)、ぼくらは颯爽と出掛けた。
はずだったが、途中、坂道でクルマが登らなくなったり、ガス欠になったりで、けっこう難渋するみちのりとなった。
ぼくらはその日一日中、どこかぎごちなかった。それというのも、この4人の微妙な人間関係というか心理状況が影響していた。
ぼくと友人は、一人の女の子をめぐってライバル関係にあり、もう一人の女の子はぼくに想いを寄せていた。
しかも友人は、ぼくより実際のところ一歩も二歩もリードしている。
そんなめまぐるしくも、よくわからない状況の中で、ぼくらは遊びに出掛けたのだった。
小春日和がつくる陽だまりのなか、小高い丘のビロードの芝に座り、遠くに見える紅葉の山並や長くのびる薄いすじ雲を眺め、ぼくらは弁当をひろげた。
はるか眼下には、自然公園のセンターハウスの屋根が見える。
そこへどこからともなく、あの心の琴線を撫でるような、ピアノの前奏部が流れてきた。
〈淡紅の秋桜が秋の日の/何気ない陽溜まりに揺れている……〉
ぼくらは静かに目を閉じて、じっと聞き入った。
この瞬間が永遠に続くように、ただじっと……。
しばらくして誰かが、「この曲とってもいいね」と言った。
ぼくは、そうだね、と言って目を伏せた。
後年その友人が、「あのとき流れてきたのが『秋桜』でよかったよ。
もし三波春夫の『チャンチキおけさ』だったら、あの甘いひとときも、ずいぶん違うイメージになったろうな」と語ったけど、まさにそのとおりだと思う。
その時、その場に、どんな曲が流れてくるかで、人生の彩りもまた変わるのである。
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