ぼくはこの曲が大ヒットし、全国にその名をとどろかせたのは、もちろん知っていたけど、恥ずかしい話、岐阜・柳ケ瀬のことを歌ったものだと、長い間気づかずにいた。
これほどの名曲が、まさかこの岐阜に生まれるわけはない、と思っていたからである。
こんなことを言うと、ご当地の方々にお叱りを受けるかもしれないが、不遜にも、当時のぼくの認識はその程度だった。
ひとつには、岐阜より大都市であるはずの名古屋でさえ、ヒットしたご当地ソングがないのに、まさかそんな……という先入観があったからだろう。
石原裕次郎だろうが、北島三郎だろうが、笠置シズ子だろうが、とにかく名古屋を歌うとヒットしない。
それが、岐阜・柳ケ瀬で大ヒットするなんて、当時のぼくには信じがたいことだった。
それから時がたって、『長良川艶歌』や 『奥飛騨慕情』などがヒットし、これはもしやと思い、人に聞いてみたらそうだったという、まったくお間抜けな話である。
もちろん今では、柳ケ瀬付近を通ることがあると、「うーむ、ここが美川憲一が心をこめて歌った街なのね」と、ちゃんと内心で仰ぎみるようになっています。
考えてみると、岐阜がどうして歌になるかわかるような気がする。
それは、長良川や飛騨川のような、美しい情緒ある川がそばに流れているから。
全国でヒットしたご当地ソングの所在地には、長崎にしろ仙台にしろ京都にしろ、きまって潤いと情緒を感受できる川が流れている。
名古屋の庄内川や山崎川は、どうひいき目にみてもそんな感じはしない。
『庄内川艶歌』じゃ絶対ヒットしないだろうし、『西尾張慕情』じゃ、ちょっとシラけた感じだものね。
そういえば、柳ケ瀬商店街に、この曲を歌った美川憲一の記念館をつくる構想があるとか。
実現すれば、岐阜市をはじめこの地域の観光にも、かなり波及効果が期待できるだろう。
もしかしたら、『柳ケ瀬ブルース』のリバイバルヒットもあるかもしれない。
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