◎そこにいつも歌があった(3)
『ワインレッドの心』


 プロのミュージシャンを目指し上京したのが、この頃であった。
ぼくは生活のため、仕出し弁当の配達をやっていた。

 渋谷区の代々木八幡に店があって、そこから大手町だの新宿だの赤坂だのと、クルマで走ってまわるのである。行き先は、洗練されたビジネスマンやOLが勤める、大手商社や有名企業が主だった。

 あまり清潔とはいえない白衣を着て、軽四キャブで疾走する。
そんな毎日だった。
そして、よくカーラジオで耳にしたのが、安全地帯の『ワインレッドの心』である。この曲には、いつも心が慰められた。

 本当を言うと、ぼくは東京になんか出たくなかった。
できればずっと、地元の東海地方にいて、やれることをやりたかった。
ところが、運命というものはわからない。

 上京の三か月ほど前、じつは横浜銀蠅の事務所から声がかかり、名古屋市民会館で社長と会うはずだった。

 しかし、コンビのかたわれがどうしても集合できずに、その話は流れたのである。
「芸能界は、縁とチャンスがすべて。本日二人が集まれないなら、この話は無効だな」となったのである。
痛恨の失態である。

 相棒もひどく悔いて、
「のるかそるか、とにかく社長を頼って上京しよう」とぼくに迫った。
そこで腹を決め、上京となった次第である。

 そんな不安定な精神状態だから、いつも自分の居場所を探していた。
体は東京にあるんだけど、心はまだ名古屋にある……。
それでも、この『ワインレッドの心』に触れると、なぜか心が落ち着いた。

 ああ、自分は今こうして東京にいて、生活して、恋して、バイトしている。
新しい街や人やモノに、一生懸命になじもうとしている。そんな実感がふつふつとわいた。

 あの時うまくいけば、今頃はぼくも“銀蠅一家”の一員だったかもしれない、という未練を断ち切って、とにもかくにも前に進むことができた。

 あれ以来、ぼくの処世訓には、「縁とチャンスは大切に」という言葉が収まっている。