◎そこにいつも歌があった(31)
『夏休み』(吉田拓郎)


 この歌には、かつてあったような〈日本の夏〉が、作者自身の“季語”を通 し、そこかしこに感じられる。

 麦わら帽子、たんぼの蛙、姉さん先生、絵日記、花火、畑のトンボ、西瓜、水まき、ひまわり、夕立ち、せみの声、夏休み……。

 そして、いまではもう、こうしたものがみんな遠ざかってしまったと歌う。

 それは、ここにあげた夏の風物詩がすべて消えたというより、主人公自身がそうした環境から出てしまったことによるのだろう。

 大人になってしまい、少年のような感受性が消失したのか、あるいは田舎から都会へ出たためなのか、それともその両方なのか。

 いずれにしても、いまの日本はどこへ行っても都会ナイズされて、かつてのような〈日本の夏〉は、ほとんど存在しなくなっている。

 かくしてぼくらは、わずかに残る風情とか情緒を探して、旅に出るしかないのである。
その思いはいまに始まったのではなく、ぼくが二十歳の頃には、すでにそうであった。

 友だち数人と福井の武生へ出掛けたとき、そこにはたしかに〈日本の夏〉があった。
日常を離れて、夏を感受しに行ったのである。 友人の親戚の家に泊めてもらい、そこを起点として、海や山へ繰り出した。
さすがにきれいな姉さん先生はいなかったけど、たんぼの蛙も、ひまわりも、麦わら帽子の子供も、西瓜も花火も夕立もみんな存在した。

 紺碧の海にたなびく白い波頭、背中には濃い緑の稜線がまぶしい山々を感じながら、ぼくらは短い夏の日を惜しむように堪能した。

 そしてぼくらは毎夜のように、その家でライブパフォーマンスを繰り広げた。
なかでもギターを抱えると、なぜか吉田拓郎を延々と歌うやつがいた。
彼は歌いながら、わけもなく泣くのである。『人間なんて』とか『落陽』とか『旅の宿』をやりながら、涙にむせぶのだ。
とりわけ『夏休み』では、よく泣いた。

 するときまって、その家の婆さんが大きならっきょうを持ってやってくるのである。
なぜらっきょうなのかわからないが、彼はそれを食べるとふしぎに泣きやんだ。
子供みたいだった彼も、いまでは二児の父親である。