◎そこにいつも歌があった(5)
『生まれ来る子供たちのために』


 昨今の子供たちの“荒れ”に、頭をかかえる大人たちは多い。
僕も、子を持つ親として、また仕事柄、世間様に物を言う立場の人間として、どうしたものかと日々煩悶している。

 校内暴力、いじめ、集団レイプ、警官襲撃、自殺、援助交際、家庭内暴力、覚醒剤……等々。
加えて、大人社会では汚職や不正が連日のように暴かれ、いい年をした大人が頭をさげたり弁解ばかりしている。
ああ、書いていて、本当にいやになる。

 この国は、どこかで道筋を誤ってしまった。
このままでは本当にまずいのではないか…といまだれもが憂慮する。けれど僕は、こうした事態になるのを、ある程度予見していた。

 それは、バブルが始まる二、三年ほどまえ、仕事のクルマで、オフコースの『生まれ来る子供たちのために』を改めて聴いた時だった。
なぜだか知らないが、運転していて涙が出た。

〈多くの過ちを僕もしたように 愛するこの国も戻れない もう戻れない あのひとがそのたびに許してきたように 僕はこの国の明日をまた想う……〉

 車窓から渓谷と川が見えた。僕は、春日井から多治見に通じる愛岐道路を走っていた。

 この歌は、主人公が神のような大きな存在に語りかけ、国の先行きを想い、自分をみつめ、そして生きる勇気を携え船出する、というのが主題となっている。

 当時も、校内暴力やいじめが横行し、グリコ・森永事件や豊田商事事件があったりと、物騒な世相がひしひしと感じられた。海外にあっては、ソ連はまだ健在で、米ソの冷戦が続いていた時期でもある。

 そうした時代の空気を吸いながら、僕は毎日、仕事でクルマを走らせる。空や川はまだ青いけど、この国は何かが狂いだしている。このままではまずいな…。
柄にもなく、この曲を口ずさんだ時、僕にはそう感じてとれた。

 あれから十数年たった現在、果してその通りなり、いままた僕は、この歌をしみじみと反芻する。本当に僕らは、子供たちに何を語ればいいのだろう。

 恋愛ラブストーリーに主眼をおいたオフコースの作品としては、異色中の異色だけど、それだけにいま聴くと、ジンと胸にしみます。