◎そこにいつも歌があった(7)
『襟裳岬』(森進一)


 この歌が流行っていたころ、僕は高校受験にいそしむひとりの少年でした。

 眠い目をこすりながら、深夜ラジオを聞いていると、よくこの歌が流れてきた。試験勉強もいよいよ大詰め、という時だったから、本当に春が待ち遠しい、という毎日だった。

 どてらに身をつつみ、シンと立つ夜明け前の空気を感じつつ『襟裳岬』を聞くと、なぜか心が軽く暖かくなった。

 森進一の渋くふるえる歌声|わずかにうわずるように、しかし明るい|が、妙な説得力を持っていて、「襟裳岬の春って、どんなふうかな」と、あれやこれや想像したりした。

 暖炉があって、季節はずれに訪ねて来る友人があって、コーヒーが用意されていて、悩みを打ち明けて、そしてお互い静かに笑いあう……そんな春かなあ、と。

 だからと言って、自分には直接関係ないのだけど、でもがんばろう、という気にさせてくれる。

 そういえば長野五輪で、ニッポンを大いに沸かせ勇気づけてくれたのも、北海道出身の人たちだった。
とくにジャンプの原田選手を見ていると、『襟裳岬』にあるような、純朴で気どらない生活空間が、彼を育てたのかなあ、と思えてしまう。

 まあそれはともかく、『襟裳岬』はいい歌である。当時は、演歌だろうと歌謡曲だろうとフォークだろうと、いいものは皆が支持した。今の若者のように、ビート系やビジュアル系しか頭にない、ということはない。
中学生だって、山口百恵やピンク・フロイドを聴く一方で、演歌もちゃんと聴いていた。

 とりわけ『襟裳岬』が斬新に感じられたのは、作曲が吉田拓郎だったことである。

 それまでの演歌にはない、独特のメロディと歌詞がそこにあった。当時の吉田拓郎といえば、フォークの神様的存在で、それが森進一と組むというのは、本当に驚きだった。
この異色作は、若い僕の感性にもビンビンきて、大変興奮した覚えがある。

 だからこそ、いま演歌に、こうした斬新なパワーが欲しくなるのだ。
若い感性にもビンビン響く、大人の歌を聴かせてやってほしい。なんなら、僕が作ってもいいですけど……。