「どうした、君田」
彼のほうを見ると、苦しそうに手で喉元をおさえ、口をパクつかせていた。
声が出ていない。
が、バックの演奏は、無情にも譜面どおり進んでゆく。
まばらな客席も、ステージの異変に気づき、騒然としているようだ。
急ぎ僕は、マイクに向かった。
『アンゼムホワーイル、アイマウェイ、アイライホーム……』
君田も、何とかこれに加わった。
『オール・マイ・ラビング……』
ビートルズは、これまで何度歌ったことか。
ロックとはいえ、僕らにとってこの曲は、お手のものだった。
だから、こんなぶざまな状況になるとは、夢にも思っていなかった。
おまけに、バックバンドの連中は、コーラスをやろうとしない。
ある程度、覚悟はしていたが、それにしても、惨たんたる滑り出しである。
かろうじて、一曲終わった。
「君田、だいじょうぶか、やれるか?」
目で合図する。
「ああ、平気さ」
彼も、目で応答した。次の曲に入ろうとした瞬間、客席から野次が飛んだ。
「バカヤロー、しっかりやれ!」
声の主を探したが、スポットの照明に目がくらみ、場内全体がよく見えない。
七瀬ゆかりの姿も、確認できない。
ただあるのは、洞窟の深部に流れるような、冷たい空気だけだった。
横にいる君田の表情が、強ばっている。
「では、次の曲です」
けれど君田は、もはや歌えるような状態ではなかった。
目はうつろで、顔全体が熱でむくんで見えた。
果して彼は、歌の途中でリタイアしてしまった。
しかし、バックの演奏だけは、黙々と続けられている。
「なにやってんだー、このボケー」
またも、同じ男の声である。
君田は、それでもステージに立っている。
とっさに僕は、彼のパートを歌ったが、音程がつかめずメロメロだった。
この状況は、オリジナル曲になっても変わらず、それどころか、さらに劣勢を招くことになった。
バックバンドが、暴走をはじめたのである。
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