回想16


「どうした、君田」

 彼のほうを見ると、苦しそうに手で喉元をおさえ、口をパクつかせていた。
声が出ていない。

 が、バックの演奏は、無情にも譜面どおり進んでゆく。
まばらな客席も、ステージの異変に気づき、騒然としているようだ。
急ぎ僕は、マイクに向かった。

『アンゼムホワーイル、アイマウェイ、アイライホーム……』

 君田も、何とかこれに加わった。

『オール・マイ・ラビング……』

 ビートルズは、これまで何度歌ったことか。
ロックとはいえ、僕らにとってこの曲は、お手のものだった。

 だから、こんなぶざまな状況になるとは、夢にも思っていなかった。
おまけに、バックバンドの連中は、コーラスをやろうとしない。

 ある程度、覚悟はしていたが、それにしても、惨たんたる滑り出しである。

 かろうじて、一曲終わった。

「君田、だいじょうぶか、やれるか?」

 目で合図する。

「ああ、平気さ」

 彼も、目で応答した。次の曲に入ろうとした瞬間、客席から野次が飛んだ。

「バカヤロー、しっかりやれ!」

 声の主を探したが、スポットの照明に目がくらみ、場内全体がよく見えない。
七瀬ゆかりの姿も、確認できない。

 ただあるのは、洞窟の深部に流れるような、冷たい空気だけだった。
横にいる君田の表情が、強ばっている。

「では、次の曲です」

 けれど君田は、もはや歌えるような状態ではなかった。
目はうつろで、顔全体が熱でむくんで見えた。
果して彼は、歌の途中でリタイアしてしまった。

 しかし、バックの演奏だけは、黙々と続けられている。

「なにやってんだー、このボケー」

 またも、同じ男の声である。
君田は、それでもステージに立っている。
とっさに僕は、彼のパートを歌ったが、音程がつかめずメロメロだった。

 この状況は、オリジナル曲になっても変わらず、それどころか、さらに劣勢を招くことになった。

 バックバンドが、暴走をはじめたのである。