ぼくらは上京して二か月にもなるというのに、バイト以外は来る日も来る日も、ただ芸能事務所に顔を出すだけの生活だった。
君田弘とは高校時代からの付き合いで、現在はいうにおよばず、ぼくの浪人中もつかず離れずの関係を保っていた。
浪人中はもっぱら、アライ文具店という一風変わったたまり場に出入りする仲間として顔をあわせた。
店主のオババが根っからの世話好きの性格なため、そこには中学生から大人までいろんな世代が集まった。
ぼくと君田は、時折ギターを持ち込んでは、狭い店内にもかかわらず、オリジナル曲を中心に弾き語りコンサートを開いたりした。
文具店でのライブ演奏は、たぶん珍しい見せ物だったにちがいない。
それは、愛知県の江南という何でもない町の片隅で、いつもおもむろに繰り広げられていた。
その頃の君田は、役者志望であり、東京をめざしていた。
ぼくは浪人中の身であり、大学に入って教師になることを希望していた。
やがて君田が一足先に役者をめざし上京し、ぼくは地元の大学に進んだ。
そんな二人がどうしてまた一緒にやるようになったかというと、実はたいした理由などないのである。
君田が東京へ出て二年目のある日、「淳成と二人でキャンドルというバンドを完成させたい」と突然彼から申し出があり、あっさりとコンビが再結成されたというわけだ。
彼はそのために、東京のアパートを引き払って地元の一宮へ戻るという。
しっかり二人で準備し、チャンスを得たら再度東京へ出るつもりだから、とぼくに説明した。
君田は役者を諦めたわけではないが、思うところがあってそうしたにちがいない。
いまからして思えば、東京で同棲していた浅丘知美と気まずくなって、自分を変えようとしたところもあるのだろう。
浅丘知美は江南出身で、かつて彼女をめぐって君田と恋の火花をちらしたこともあった。
知美くんは今でも彼の恋人だが、たしかにそんな時代もあったなあと、ときどき懐かしくさえ思う。
まあそれはともかく、君田とぼくは三崎企画という芸能プロダクションに拾われ、明日のスターを夢みて東京で暮らしている。
夏も終りかけに近づいたある日、ちっとも仕事をブッキングする様子がない社長に苛立って、君田が直談判に出た。
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