回想24


 そのとき、砂煙をあげ、数頭の馬たちが眼前を駆け抜けていった。

「あたしは、インドへはいっしょに行けないって言ったの。そしたら彼、目をはなしたすきに、切っちゃったのよ。声あげて泣いて…」

 知美くんは言いながら、大粒の涙を落した。僕は、彼女の肩に手をおき、うんうん、と無言でうなずいた。こっちまで、涙が出る。

「でも、どうして、そんなことになったのかな?」

 僕は、気をとりなおして聞いた。

「あの人、ずいぶん前から悩んでたわ。魔法を失ったって…」

「魔法?」

「そう、魔法……。だから、もう一度それを取り戻しに行くんだって。それで、あたしにもついてきてほしいって。そう言ってた」

「だけど知美くんにそれを拒否され、手首を発作的に切った、というわけだね」

「そうよ。でも、切ったっていっても、かすり傷程度だから、死ぬ気じゃなかったと思うの」

 言って知美くんは、複雑な顔をした。彼女はどう思ったかしらないが、きっと君田は、青春の魔法の喪失に悩んでいたんだ。

 同時に、全てを包む彼女の母性と、回復のための“インド”を必要としていた……。たぶんそうだ。

 人はだれでも、自分を童話やおとぎ話に出てくる王子さまや、お姫さまだと思いたい時期がある。

 困難があっても、魔法という武器によって、最後は勝利を得て幸福に暮らす。ほとんど憧憬に近い。

 それが高じると、現実を無視して、自分は何でもできると思い込んでしまう。理想と現実と幻想の区別がつかない。いわば、青春の幻惑というようなもの。

 多くの人はやがて、青春の幻惑から解放され、その魔法も手放し、大人の階段をのぼる。

 現実の営みの中で、自分にできることと、できないことを、知るようになるからだ。

 だが、なかには、その魔法をあきらめることができずに、さらに迷路に入りこむ者もいる。

 それが、いまの君田であり、僕であるかもしれない。音楽バンドとしての成功。才能。輝き。賞賛……。そういったものすべてを諦めきれず、孤独と焦燥の中で、あがき苦しんでいる。