電話のボタンを押しながら、ゆかりと話すのはひさしぶりだなあ、と思った。
自宅に電話がないうえ、進展のない現状では、コールするにも何かとはばかれるのだ。
「はい、七瀬です」
ゆかりの艶のある声が聞こえた。
「あの、ぼくだけど」
「…淳成くん。どうしたの? 手紙だしたのに、ちっとも連絡くれなかったじゃない」
「ごめん。つい忙しくて」
くぐもった声になった。
「…元気だった?」
やさしいゆかりの声音に、ホッとする。
このまま用件を言わないでおこうか。
そうもいかないか。
「うん、ぼくは相変わらずだよ。それより、ひとつ頼みがあるんだ」
「え、頼みって? なに?」
「十万円ほど貸してほしいんだ」
わずかに声がかすれた。
「十万円って、そんな大金…、何か困ることでもあるの?」
電話の向こうで、当惑する彼女の顔が浮かんだ。
「必ず返すから、用立ててくれないか。バックバンドの費用がいるんだよ」
上気して、背中から首筋にかけて汗が吹き出た。
カッコ悪いことしきりである。
ぼくは、これまでのいきさつを、かいつまんで彼女に説明した。
「わかったわ。返すのはいつでもいいから、ライブがんばってね」
「ありがとう」
「じゃあ、またね…」
と言ってゆかりは、流れのままに電話を切りかけた。
「あ、あのさぁ」
ぼくは反射的にそれを遮ろうとした。
「え、なに?」
「これから、どへ行くの?」
どうでもいいようなことを聞いている。
お金の無心だけで、話が終わってはいけない、という気持ちがどこかにあった。
「ひさしぶりにアライ屋へでも行こうかと思ってるわ」
「そう…」
言葉がそれ以上出てこなかった。
彼女の様子が、どことなくそっけないのが気になった。
ひさしぶりの電話だというのに、お金の話で機嫌をそこねたのだろうか。
「じゃあ、また連絡してね」
「うん、オババにもよろしく」
受話器をおいたあと、ぼくはオババ の顔を思い浮かべた。
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